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平成24年5月10日(木) |固定リンク
連休は仲間と旬を味わっていた。ホタルイカのしゃぶしゃぶ 今年は不漁、東京の店頭に並ぶ数はすくなく、いつものように富山の滑川の砂子商店に注文した。富山湾は自然の生け簀にたとえられ、湾の各所で採れるものが異なる。この季節ホタルイカは産卵のためあがってくるところを一網打尽にされるんだから、かれらにとったはたまったものじゃない。一度早朝の漁に同行したことがある。刺激をうけると青い光りを放つのだ。幻想的な光景で、船上で食したそれはなんてもいえなかった。翌日残りをパスタにした。イカ墨のそれなんてめじゃないね。えらい烏賊だ。 同席したファッションデザイナー、滝沢滋さんの母上は、僕の冬いきつけの氷見出身だという。「こんど氷見行きましょう!」と言うから、「梅雨マグロ」のことを思い出した。その頃荘川の鮎もいい。 以下茂木さんのクオリア日記にならって僕の見解をのべる。
では九州に行ってきますのだ。
平成24年4月21日(土) |固定リンク
今年の桜をたずねる旅はおわった。 朝早く目覚めふと新名神 走りたくなり吉野へむかう。たしかに走りやすい道路だ。2兆円が高いかどうか難しいところだが、山側に東西の大動脈がもうひとつできなことは、台風のときなどいいことだろう。だが、道路はよくなっても車のマナーがかわらない。とくにプロのドライバーの意識の低さはめにあまる。それに、せっかくこんないい道路つくったのに、またこれだけ車の性能があがっているのに制限速度がいまだ100km/hというのは悪代官の所業である。車種によって車線をしっかり規制し、欧米並みに制限速度をあげるべきだろう。日本はいつになったら成熟した社会が構築されるかな。 さて、途中に MIHO MUSEUM の展覧会に立ち寄る。いつもながら展示が素晴らしい!入った部屋、曲がった奥の場所、右見て左みて所々にアクセントをつけている。驚いたのは吉野蔵王堂「六田知弘写真展」で蔵王権現のブロンズ像を、イタリーの赤い壁の写真とあわせ展示したんだが、まるで示し合わせたようにローマだったかギリシャの女神のブロンズの光背に、同じ赤い壁を制作していたことだ。学芸員の金子さんによれば、イタリーから漆喰をとりよせて、赤の濃淡の具合を職人さんとつくったのだという。かれがあまりにしつこいので、怒って帰ってしまった人もいたという。でも、そのくらいの情熱を注いだからできることがある。いまどき贅沢なことだが、その豊かさを生かすも殺すも展 覧会にかける愛情次第なのだ。ほんとに気持がいいよ。 お堂のなかにおさまったような十一面観音像、神社の本殿にあるような女神像、清潔な白い部屋……。いつも新しい発見がある。写真におさめたい展示おおし。なんで日本の美術館は写真禁止なんだろうと思う。ルーブルだってオルセーだって、場所によっては駄目なところはあるけど、フラッシュたかなければ問題ないんじゃないかな。自由が少ない日本。さて、会場で学芸員の桑畑さんがわざわざ挨拶にこられた。「来年根来をやるのでよろしく!」という。こちらこそよろしくだ。秋には東さんが土偶をやる。もう僕が大好きなことばかり まったくうらやましい!あんな展示がいいんだからもっと図録にもちからをいれたらいいのに と呟きながら満開の枝垂れの参道をあとにした。 時間があったので畑の枝垂れをたずねる。もうおわりだったが田舎に一本立ちの桜にはなにか意志のようなものを感じる。伊賀一宮敢国神社の参道にも小さいけど各種桜が植えられている。僕は吉野への前奏をきいているようだった。夕暮れの蔵王堂からながめる山桜たち。もう旬は過ぎていたがここの桜はいつもちがう。そして再びご本尊の金剛蔵王権現と再会す。これから新緑の青と蔵王さまの青の季節を吉野はむかえる。
平成24年4月18日(水) |固定リンク
ふっと朝早く目が覚める。このまえ雑誌でみた「桜川」のことを思い出し、飯も食べずにでかける。生憎の曇り、夏のようなギラギラした太陽もでていなかったが、首都高はすいていて目的地まであっという間に到着。そうそう、ETCカードを忘れて900円にあがっていたことをしる。いったい選挙のマニフェストっていうのはなんだったんだろう。やるやる番長は無料どころか料金があがるんだから落第ってもんだ。政治は結果責任だからね。 茨城県桜川 謡曲桜川の舞台となったところで、西の吉野 東の桜川 というほど古くから桜の名所として知られていた。恥ずかしながらはじめて 磯部神社の桜は見ごろを過ぎていたが、整備された公園に植えられた各種桜 染井吉野なかりではなく山桜、大島桜、枝垂れに普賢象まである!ゲートボウルする近所の人以外だれもいない桜の公園 ちょっといい。遠望する山々には三部咲きの山桜がいいかんじである。名木があるわけではなく、露天が軒を並べてもないが僕は好感をもった。ここは染井吉野ではなく山桜がふつうにだからだ。桜川の源流である鏡が池は物語の情緒はなくなってしまっているが、筑波への田舎道もなかなかのドライブコース。 天気も回復してきたので、常陸一宮 鹿島香取両神宮まで足をのばす。桜に囲まれた一日 今年の仕上げに明日から吉野へ。
平成24年4月1日(日) |固定リンク
吉野のかえり大倉源次郎さんとはなしていて、蔵王堂の内陣は音が響いて気持ちがいいという。今回ちびっ子桧垣本座の舞台をみて、子どものときの体験が伝統文化にとって一番大切なことで、こういうことが行政の仕事なんじゃないかと強く思う。吉野のお隣り、大淀町に桧垣本猿楽というのがあって、お囃子方のルーツがあるのだという。笛の藤田さんは、子どもたちがお能と親しむことによって、住んでいる町の歴史を学んでいって欲しいと強く言われた。 教科書の検定をはじめとして、教育の中央集権システムはこうした地域固有の文化に目が向けられることはない。歴史教科書は縄文からはじまり弥生、古墳、飛鳥と続くが東北に弥生がどれだけあったか?古墳なんてないに等しい。つまりあれは大和政権の歴史であって、東北のことをまったく無視してかかれたものだ。地域振興、活性化とかよく耳にするけど、全国一律の構造で考えても駄目なんじゃないかな。 例えば、大淀町では能楽は公立小中の必修科目とする。講師として能楽協会の協力を行政がとりつけて、年に一度大きな発表会を蔵王堂で行う。これも公会堂とかでやったらダメ。地元の人は地元のものに触れないからである。奈良の人は吉野の桜をめったに見に行かないという。 国歌斉唱とか国旗掲揚とかいう問題も大事なことにちがいないが、地域のことは地域で考え実行する その裁量権を与えること 一刻も早くやってほしい。お寺や神社の宗教施設は、伝統文化の継承の中心地になるべきだろう。政教分離。そんなこと決めた政府よりこっちのほうがずっと長いんだよ。吉野は明治の神仏分離で大打撃をこうむったが、蔵王権現様は健在だ。修験についてもおなじことで、吉野町の必修科目にするべきだろう。
ラフィネールアッシュ広告 3月31日・日経プラス1掲載 (クリックで拡大) 平成24年3月31日(土) |固定リンク
吉野にきている。二泊したのははじめてだ。国宝仁王門の修復勧進のため秘仏の御開帳と六田友弘さんの「OKUGAKE」の写真展が開かれる。僕は縁あってその展示を手伝うことになった。かねてから展示というものに疑問があった。美しいということと、すべてが見えることは別なことなのに、「みえること」それだけに偏ったことがおおすぎる。仏像というのは正面から拝むために作成されてものなのに、360度さらしものにされる。裏が好い。ということもあるが、どこをみせるか ということの意志がなさすぎる。 でも写真を撮った人の思いというのは別にある。撮影者の見どころというものがあるからだ。でもそれと美しい ということは別なんだ。たぶん。今回は美術に理解がある田島さんと松田さんという先輩がいたからできたようなもので、所蔵家のおもいなんてものが入ったらまとまらなかった。思いは大事だけど強すぎると空回りする。それは何でも同じだと思う。 あと場所をご提供頂いた金峯山寺のがたがた。考え方が違うこともあったけど、はじめての試みにご理解頂いた(と勝手に思っている)写真展といいながら金峯山寺の経塚遺物を多数展示したのだが、先人の祈りの世界というのはどれだけのことか、感じてもらえたら僕は嬉しい。それが国家の根幹だったんだ。いまの国家がどういう金をつかっているのか?千年先に僕らが感じられるものがないことだけは確かだろう。僕らは幸せだよ。それが感じられるんだから。そういうことをもっと考えて僕らは生きなきゃならないんじゃないかな。 御開帳と写真展 吉野 金峯山寺蔵王堂にて六月七日まで。
平成24年3月20日(火) |固定リンク
お彼岸の中日。すっかり春らしい陽気である。今日から6月10日まで上野の国立博物館で「ボストン美術館展」がはじまった。家庭画報6月号の取材で日曜日でかけていく。白洲展でお世話になった市川さんが入り口で「ボストンはごめんなさいです」という。どうやら現地の取材がうまく成就しなかったことを言っているようだったが、第一室にはいってあまりのレベルの高さに「どこでもみてもモノは同じだから」と自分でなぐさめる。国宝重文級の仏画が、額のなかにはいっている!新鮮でとてもいい。本堂や床の間にかけるのならやっぱり掛け軸のほうがいいし、保管に場所をとるということもあるだろうが、現代の生活にあった美術の楽しみかたもというのもあると思う。ぼくはかなり気に入った。 次の部屋には海外にわたった二大絵巻が全編展示されている。しかもちょっと斜めにおいていて見易い。ここもかなりいい。僕は右から左へ自分が絵巻物のなかにいるような心地でなんでも行ったり来たりする。僧形の神像と目があった。これはきっと根本曼荼羅とおなじように東大寺に鎮座していたものだろう。 3室の雪舟もすきなものだが、あまりのレベルの高さにかすんでしまう。となりの部屋の能装束と刀の部屋も相当いいし、刀の展示もちゃんと見識をもったかたが熱意をこめてやっているように感じた。ほんらいならゆっくり見ていたいのだが、撮影に呼び戻されなかなかそうもいかない。それに最後の江戸絵画 ここが一番のメインになるというのは知っていたが。宗達、光悦、等伯、、、。今回のために修復した蕭白でとどめをさすのであるが、言葉もでないよ。明治の混乱期 壮絶な時代だったんだろう。僕は海外に流出したことについて忸怩たる思いをしていたが、これだけのものをしっかりと管理保存し、公開している姿勢にものにとっては幸せなことだとも思う。この展覧会のために何年も前から展 示をひかえ、今後5年は展示することはしないという。日本では国宝重文は展示制限がつくのだが、当たり前だが指定品になっていないこともあって全会期展示される。このあたりもモノの状態をちゃんと把握して管理しているからだろう。 ぜひこの機会にご覧いただきたいと思う。これから名古屋、九州、大阪と来年にかけて巡回予定だが、刀と能装束は東京だけです。ご注意を!また家庭画報6月号をお楽しみに!
平成24年3月9日(金) |固定リンク
ボストン美術館展に関連して曽我蕭白の足跡を訪ね歩く。三重県松阪市の朝田寺 掛け軸、屏風、杉戸絵の逸品を堪能す。唐獅子の双幅は本堂お厨子のわきに張り付けてあったというが、あれだけ大きな作を、暗い本堂でどうやって描いたのだろうか?獅子のバランスも絶妙である。いきだおれのところを助けられた、とか大酒を飲んで過ごした、とか風来坊で出鱈目に遊んでいる伝説がつきないがかなり上手い人だ。江戸絵画をあまり興味もってみては来なかったが、これから意識してみよう。ご住職の榎本様 ご親切にありがとうございました。毎年五月の連休のあたりに一般公開しています。 平安初期、本尊のお地蔵様も見応えある(こんな書き方は不謹慎ですが)残された数々の仏像からも、このあたりで勢力をもったお寺だったことがわかる。本堂には天井から供養の衣服がつるされていて、地蔵盆の夜に一年分を火にくべる。関東ではあまり聞かない習慣だが、地域ごとにおさめる寺があって、伊勢との境界の真ん中のかたは両方お参りするという。ある意味二度三度お葬式をするようなことになるが、葬送儀礼をやりすぎるなんてことはないし、先祖供養は後世まで引き継がれなくてはならないと大事なことだと思う。古い土地には文化が残されているのだ。 津から奈良へ いずれ免停になるのでレンタカーしたレガシーを運転してみたくなり、カメラマンの大泉さんとかわる。「外人さんの血がはいっているのですか?」と定番の問いかけはかれこそ相応しく(事実ご祖父はロシア皇帝と来日、サンクトペテルブルクにお墓があるという)ご兄弟ですか?と松阪のお寿司屋で言われたのには驚いた。東大寺で森本さんのお話を拝聴しながら、奈良時代なんていうのはその外人さんばかりだったじゃないか〜。伎楽面 どうみたってペルシャ。うらやましい時代だな。新しいミュージアム とってもいいです。 奈良初めて!というアシスタントらと大仏殿へ。森本さんに一段高い場所にご案内いただく。氏とはツイッターで知り合いはじめてお会いする。いろんなお話をお聞きしたが、とくに奈良時代の古絵図をみながら、「僕が生きているうちに七重塔を復元したいですね」と言われたのが印象的だった。お水取りは1250年休みなく続けられているように、伝統に灯は次世代へ確実にバトンはわたっている。僕は塔が再建した姿を思い描く。湯屋に行くとお籠りされている牛山さんが、「来年はひと月一緒に籠ろうよ」と笑いながら言う。祭りはこうした裏方さんの個々の支えが結集し、ひとつのかたちになって続いている。お水取りは仏教行事なのだが、ところどころに宇佐から勧請された八幡様と連携し ている。大寺の大寺たる由縁がちょっとだけわかった気がした。 最後に高砂 曽根天満宮で蕭白の絵馬をみせて頂く。播磨の人は「ラテン系なんです」と氏子のかた このあたりの石は古墳の石棺に使用されたという。短い滞在だったけど興味深い土地。つくづく日本はひろいと思う。詳しくは家庭画報六月号をお楽しみに!
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