白洲信哉 SHIRASU SHINYA OFFICIAL WEBSITE


平成25年3月31日(日)  |固定リンク

  玄海原発

 年度がかわる。っていうんだけど、久しくその実感がない。今は「目の眼」の毎月の発売日(1日)のなかで身体を慣らしていきたいと思う。

 塗師の赤木さんに誘われて唐津に行った。中里隆さんのところであの武さんが寿司を握りに来るとの企みだった。握らない武さんはひたすら寿司を握っていた。楽しそうに握る姿に、バランスがとれるものだと思っていたけど、それから先はいけなかった。きっと現役のときの印象が強かったからだろう。別人だと思えばいいのだけれど、まあ立ち食いというのもあったのかと思う。挨拶もせず失礼した。

 夜まで時間があったので、呼子まで足をのばす。イカが有名だけど僕は興味がむかず名護屋城址へ。桜も見頃、強者だもの夢の後はとっても素敵な城址だったけど、展望台で考えさせられた。ここから攻め上ったということは、逆に言えばここから上陸されるのだ。僕は霞の先にある玄海原発がとっても気になった。あれがいかれたらこの国はおわる そういう危機感だ。集団的自衛権とか憲法改正とか旧来の国家観をもったかたがたは勇ましいけど、そういうことではなく一歩一歩やっていかなきゃならないんじゃないかな。平和の産物とここに戦国武将が集結した歴史。それ以前は自然の災害や国難に対し、真摯に祈りを捧げてきたんだ。呼子から橋でつながっていた離島のとっ たんに田島神社がある。見事な社叢を残す海の守り神だ。僕はいろんなことを唱えて手をあわせてきた。

 竹田の岡城址あとに続いての城址だったけど、日本は木の文化なんてだれが言ったのかな。先週末の萩城址も然り、も っと石造美を見直すべきだね。明日は五月号の発売日。神像の特集をしたけど、これももっと知ってもらいたい日本美だ。萩では素敵な出会いがあった。これについては「目の眼」で掲載予定です。充実した三月だった。


  名護屋城址


  田島神社


  萩 椿の原生林


  毛利家菩提寺


  萩城址





平成25年3月9日(土)  |固定リンク

  白洲文平邸

 今週は「目の眼」五月号の取材で広島 御調八幡宮と南宮神社へ。詳しくは書きますが、ご神像がどういう偶像なのかわかったように思う、いい旅でした。写真も撮りましたが掲載は控えます。本誌をお楽しみに。

 昨日は一泊で大分県竹田へ。航空券をみると「熊本」とあるのでおかしいなと思いながら空港を降りると、市役所の池永さんと西山さんが出迎えてくれる。そういえばそんなこと言っていたなと思ったけど、なんだかわからないまま個人宅に。竹田市との縁は、首藤市長から「曽祖父の亡くなった荻に一度」とお手紙を貰ったことにある。この度「目の眼」編集長を拝命する挨拶状を送ったら、「アレックスカーさんの講演会があり、ちょうど荻にも行くのでご一緒しませんか」とのお誘いを受け興味本位の旅が実現する。

 竹田市は「農村回帰宣言都市」を宣言し、お邪魔したお宅のような若い職人をあたたかく迎える体制がある。竹細工、紙漉き、書家……。人を育てるのは行政の大きな仕事だと思うが、市役所の職員をみていてもみな生き生きしている。きっと市長の人柄なんだなと思う。晩飯をご馳走になり西山さんの運転する車で宿泊の長湯温泉へ、小腹が減ったので入った店で餃子にビールを注文したら、あらら首藤市長が現れた。「僕の小腹が減ってしまって」と改めて乾杯し、いろいろ話す。

 寝酒がきいて翌朝五時に目覚める。西山さんからここの風呂は「炭酸風呂なので」と聞いていて、風呂を義務でしか入らない僕でも興味があった。真っ黒な風呂に入ったけど、まあ普通でちょっと損をした気がしたけど、部屋にあった冷えた硬水が美味かった。そんな話しをしたら、「すみません 炭酸風呂は宿の外湯でして」と車からヘンテコな建物を指をさした。藤森照信さんの設計だそうだ。建築家は好き勝手 まったくいい商売だ。さて、目的である荻村へ。

 現在の持ち主 向山一家が出迎えてくださる。黄砂?で山はよく見えなかったが、「祖母山から久住、阿蘇外輪山、荻岳……ほんとに景色がいいところで、昔は野生のうずらが駆けずり回っているような原野で、曽祖父は狩りをして過ごしていたと聞いています」と写真を見せてくれる。平成元年まで実際に使っていたが、中はコンクリートの床、ドアは外に開くし、使いにくい家でした」と笑う。でも当時から水洗で、文平作のユニークな避雷針を引っ張り出してきた。文平さんは亡くなったベットに自分の棺桶を置いていたというが、こんな山の中に暮らして居たのだから、勝手気ままの自由人だったんだろうと思う。棺桶は祖父の次郎がジープに載せて帰ったそうで、村中見かけない車がきてひと騒動だ ったらしい。昭和10年といえば戦前のこと こんな洋風な家を建ててジープで迎えに来るのだからうちはかわっている。家の中にあった分厚いカーテンとその真鍮製のレールは北海道に住んでいる弟が寒さ対策でいまでも使っているそうだ。

 シンポジウムまで時間があったので、岡城を佐伯さんに案内してもらう。いやいやよかったね。高度の土木技術が天空の城郭をささえていたんだ。相当に深い谷二つも埋めていて、何にもないがそのないことが貴重だと思う。こんなところまで穴太衆が指導にきていたんだ。日本は広い!

 アレックス・カーさんにもお目にかかる。パワーポイントを駆使した講演はよかったね。皮肉が効いた「犬と鬼」。タイトルが祖母とゆかりがあったとは驚いた。対馬や祖谷、京町家……。かれのつくった作品にも泊まってみたいね。次回亀岡での再会を約した。


  荻村の皆様、首藤市長、アレックスらと。


  文平の避雷針の先に金が。


  岡城石垣





平成25年3月3日(日)  |固定リンク

  盃のけつ

 3月1日 奇しくも小林没後30年の命日に、37年続く古美術月刊誌「目の眼」のリニューアル1号の発売日と重なりました。編集長を拝命し結果が出て、本屋に並んでいる姿を見ると、自分の著書とは一味違った感慨があるね。きっといろんな人が関わっているからだと思う。写真は戦後すぐに祖父が編集長に就任し、青山二郎さんらと発行した季刊誌「創元」の表紙である。資材など状況が違うので比較することは難しいが、二号で終刊したけれど、「創元」のように残る仕事をしていきたいと思っている。

 命日の晩 三代の付き合いが続いている瀬津雅陶堂主人 勲をはじめ、新しい企てを一緒に考えている写真家の鈴木理策さん そして今度の事業のパートナーである桜井さんに井藤さん 特別ゲストとして、小林旧蔵の盃を引き継いだ大先輩の三田さんと青柳先生に急遽参加してもらい、この冬最後のスッポンをふるまった。皆で盃を持ち寄って囲む鍋はいい。唐津の逸品がこんなに揃うこともあまりないだろう。明日は次号の取材に広島へ。僕は毎年新しいことをやってるな。


  すっぽん 卵





平成25年3月1日(金)  |固定リンク

 

目の眼」4月号が発売されました。





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